(社)日本ITFテコンドー協会

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 テコンドーの起源


 テコンドーは1955年4月に、当時韓国の陸軍少将であった崔泓熙:チェ・ホンフィ氏(故ITF総裁:本部/オーストリア・ウイーン)によって研究、開発され、命名された近代武道である。
テコンドー(以下ITFテコンドーとする)はその誕生から今日に至るまで、創始者の手によって絶え間ない技術的研究と開発がなされ、今日この血脈はテコンドーを愛する多くの人々によって世界のあちらこちらに脈々と引き継がれている。


 創始者は自らの著書の中で次のように語っている。

 僅か五尺短身の私が今日までいかなる恐れもなく信念のままに生き、正義を叫んで来られたのは言うまでもなくテコンドーのおかげである。
私がテコンドーを創始できたのは、以前我が国(南北朝鮮)が不幸にも36年間にわたって日本に占領されていた関係から日本の唐手(空手)を習うことが出来たのと、解放を迎えるに当たって朝鮮(南)の軍隊(韓国国軍)が新しく創設されるときに幸いにも創設部隊の一員として誰の顔色を伺うことも干渉を受けることもない非常によい立場にあったためであった。
また短期間でテコンドーを国際武道として定着させることが出来たのはその技術的優位性にもあったが社会全般にわたった特に若者層の倫理道徳の没落や暴力の台頭に伴った不信感と退廃思想そして過度の物質至上主義と利己主義による精神的空虚感が、心の安息と自分を保護出来得る強い力を必要とした点にあった。
また私の社会的地位、テコンドーの創始者という利点、そして誰もが真似することの出来ない健康を維持し続けた為とも言えよう。

 生まれながらにして虚弱体質であった私は、光州学生事件の余波で起きた同盟休学(学生ストライキ)に参加したため、無期停学処分となり学校へ通えなくなった。これを心配した父が私をオクラム(ハン・イルトン)氏のもとに預けることとなったが、この時私はまだ12歳(満11歳)だった。

光州学生事件;
1929年(昭和4年)11月、光州市へ向かう電車の中で、日本人学生のグループが韓国人の女学生に対し暴言を吐き、それを注意した韓国人学生との間で衝突が起きた。
これを収拾する過程で日本警察が、一方的に韓国人学生だけを検挙し弾圧したことがきっかけとなり、光州にあるすべての学生が決起し、学生ストライキを行い、やがて日本の過酷な植民地支配に対する全国規模の抗議運動に広がった。
この運動は翌年3月まで続き、194校、述べ5万4000人の学生(小学生も含む)がストライキや抗日逃走に参加した。 当時まだ11才だったチェ・ホンフィ総裁もこの運動に参加したために、学校を無期停学処分となった。

 私が武術に足を踏み入れることになったのは、書道を教えて頂いたオクラム(ハン・イルトン)先生が私の健康を気遣って下さり、書道以外にも時折、テッキョン(朝鮮半島に古くから伝わる古武術/民俗遊戯)の初歩的な動作を教えて頂いたことから始まった。

1938年、日本への留学出発の幾日か前、賭け事をして思いもよらず生じたある事件によって強い力を身につけない以上到底故郷へは帰れない苦しい立場にあった理由から、私は唐手(空手)を習い始めた。その後、幸か不幸か唐手の有段者になることにより私が帰ってくることだけを待っていた強い相手からの復讐戦を避けることが出来たし、ひいては朝鮮の独立運動であった平壌学兵事件を指揮することが出来たのである。反面、唐手の有段者という理由のために日本の陸軍刑務所と平壌刑務所で人並みはずれた精神的苦痛と肉体的束縛(過酷な拷問)を受けることとなった。

平壌学兵事件
1944年(昭和19年)12月、陸軍平壌師団の韓国人学徒兵の集団脱走および反乱計画が発覚した。この事件により70名の韓国人学兵が検挙され、翌年(1945年)5月、軍事裁判で27名が実刑判決を受けた。懲役5年以上の判決を受けたのは12名で、崔総裁はそのうちの一人だったが、後に極刑の死刑判決を言い渡された。

 1946年3月、陸軍少尉(当時は陸軍参尉と言った)に任官された私は、全羅南道光州にある朝鮮警備隊第四連隊に赴任して中隊長の職を任ぜられると、強軍育成を目標とし全中隊に唐手を教えた。
このときから私は、精神面や技術面でこれよりもっと立派な我が民族の武道を創り、倍達民族(朝鮮人・韓国人)の魂と英知を全世界に知らしめ、全国に普及することによって私が平壌陸軍刑務所の監房で3人の同志達に「今日、我々がこの様になったのは、以前無能な王達に忠告する者が居なかった結果、国を日本に奪われたからだ。
だから我々がもし生きて此処を出ることが出来、国が独立した暁には、我々は絶対に王には成らず、王に忠告する者になろう」と言った誓いを実践できると考えるようになった。
そして私は名前の問題は後にまわし、まず新しい武道の技術開発に着手した。以後、長年研究に没頭した結果、1954年末に至り今日のようなテコンドーの基礎がほぼ完成し、1955年4月11日に「足台拳道」と命名したのである。

 テコンドーは東洋の倫理道徳を精神的根幹とし、現代科学の原理をもって最大の力を出せるようにし、攻撃と防御の方法には軍隊戦術を採択した上、私の人生観が注ぎ込まれているところから、唐手(空手)やテッキョンは多少参考にはなったが、それらとは全く違う原理と理論をもって研究され体系化された特異な武道であることを此処に明記しておく。

1959年3月、ベトナムと台湾に歴史上初めて国軍テコンドー師範団を引率したことを契機に私は高尚な精神と飛び抜けた技術を後世に残すことだけが唯一私が永世の中で生きられる道であることを切実に感じる様になり、テコンドーの正しい教育を通じて…

 1.健全な精神と強い力を育て、各々に於いては常に正義を貫ける自信力を持つようにし

 2.また宗教、人種、国境、もしくは思想に拘ることなくみんなが実の兄弟のような関係を持ち

 3.正義と道徳、信義と人道主義が最上となる平和な人類社会の建設に献身することを理想とした。

 私は、またこの高貴な武道を全世界に普及することによって、分断された我が国の統一を促進するという希望を抱き、技術研究と国際的普及に全心血を注ぎ今日に至った。

 テコンドーの研究は大きく分けて精神面と技術面の二つの分野で進行されたが、精神修養とは形而上学に属するものだけに痕跡はなく聞くにも聞けず、また見るにも見えないそれは正に限りなく広く深いものであり、まして修養途上にいる私にとっては一言で言い表すことが難しい。
 したがって私は、この様に難解ではあるが、テコンドー家として必ず身につけておかねばならない精神修養に対し特に重点を置いたのである。  テコンドー家としての精神修養はテコンドーと、テコンドーを錬磨する人自身が一塊となって、テコンドーの24のトゥル(型)が持っている精神と意味をよく理解することにある。

 テコンドーを自分の体のように愛し大切にする人はこれを絶対に濫用し、不名誉な形で使用してはいけない。トゥルの名称はこの五千年間、一度も他国を侵犯した事実が無く唯一、侵略者達を追放し、また国を守り抜いた朝鮮半島の代表的な人物達の名前に因んだものである。このことをよく理解すればテコンドーが正当防衛と正義の為のものだけに使われる武道だと言うことを悟ることになる。

  次に技術面においては、どんな状況にも対処出来得る多様な動作と方法を次のようなところに重点を置いて研究した。

 1.全ての動作は科学的公式と原理によって最大の力を出せるようにする。

 2.テコンドーを全く知らない者でも動作の正しさと誤りを容易に判定出来るようにする。

 3.角度と距離を明確にすることによって効果的な攻撃や防御を行えるようにする。

 4.目的と方法を明確にし、容易に習ったり教えられたり出来るようにする。

 5.合理的な教育方法をもって老若男女、誰もが分け隔てなく修練出来るようにする。

 6.正確な呼吸法をもって速度増加は勿論、疲労を減少させるようにする。

 7.人体のどの急所でも攻撃可能に、またどの攻撃も防御可能にする。

 8.人体の構造特性によって使用可能な攻撃部位を明確にする。

 9.体育や娯楽としても楽しめるようにする。

10.柔らかくリズミカルな動作をもって美的感覚を表現できるようにする。

11.適切な方法と統制をもって健康増進を促す反面、児童達の発育成長を妨げたり、けがを負ったりしないようにする。

12.各トゥルにある人物及び事柄の精神と活動を動作で表現する。

 私がテコンドーを武道だ科学だと、また芸術だと呼ぶ理由がまさしく此処にある。

テコンドー創始者 崔泓熈 著
テコンドー百科事典朝鮮語版より
翻訳:金 省德

 


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